黒部スイカの思い出
北国屋片岡社長さんから 黒部スイカを頂きました。
「本さん一番成りですからね・・美味しさが違うはずです」
(スイカの2番なんて聞いたことはないのですが・・・まあいいか)、
黒部スイカの思い出は50年ほど前に遡りますかね1963年(昭和38年)
小学生当時まだ同居していた賢次叔父さんは
外資系のエレベータ会社に勤務で
黒四ダムの建設にたずさわっていたのです。
時々帰ってきてしばらくすると大きなリュックを担いで
また黒部へと出かけるのでした。
ある時叔父さんはそれまでTVのアメリカ映画でしか見たことがなかった
それは大きな横長のスイカを持ち帰りました。
ところが彼の父、つまり私のお祖父さんと口論が始まったのです。
「スイカは家で栽培して捨てるほどもあるのに、
つまらぬお金の使い方をして・・・」
「こんな珍しいものは見たことがないだろう・・・」
重いスイカを背負ってきたのは家族の笑顔を見たいから…
その思いが伝わる叔父さんの言葉の方が私の心に響きます。
私はと言えば、じいちゃんもそんなことを言わなくてもいいのにと
叔父さんを心の中で応援しながら真っ赤なスイカをガブリ。
うん?普通のスイカだ・・・、皮がやけに厚いな・・・。
まだ行ったことも食べたこともないのに、
アメリカの味を(?)期待していた私は
じいちゃんの言うとおりかもしれないな・・・・
これが私の黒部スイカ初体験の思い出です。
小学一年生の千夏ちゃんと大きさを比べてください。

本 昌康
Happy Birthday !!
今日8月10日は何の日だ~?
「無料配送最後の日です」と本店ショップ店長からいわれてしまいましたが
ぶどうの木29歳の誕生日です。
あと1年で30歳となります。
ぶどうの木が人間と同じような年齢になってきたと感じます。
つまり卒業して会社に入って7年くらい、
見ていてまだあやぶいなと思う部分もあるが、
仕事をぐんぐんこなすエネルギーがあって、若いっていいな・・・・
と言った感じでしょうか。
この人はまだまだバランス的には問題があって決して優等生とは言えないが、
周りの先輩諸氏からはあたたかなまなざしで見守られ
応援していただいている。
そんな気がする29歳のぶどうの木です。
本 昌康
伊勢丹さんの「美人葡萄」
ISETAN STYLEの8月号に
私と圃場長の白井さんと
粒の大きさが500円硬貨くらいある「ルビーロマン」とが写真に載りました。
文面は面白いのでちゃんと読んでみてください。
今年のルビーロマン
東京への出荷は8月19日の初セリに決定です。
そして谷本石川県知事は30日大田市場にまで出向いてくださいます。
ありがたいことにこのためだけに知事は東京出張。
両日とも私も早朝より参ります。


本 昌康
直売場間もなく開店 デラウェアーの話
今年もそろそろ直売場が開きます。
今のところ7月15日予定です。
まず店頭に並ぶのがデラウエァー:種無しぶどうと愛されている
だれもが知っている小粒で甘いぶどうです。
米国から明治の最初に日本にはいってきた米国生まれです。
実生(種から生まれた)なので両親は不明
でも1960年ころジベレリン処理によってこのぶどうが種なしになることが
わが国で発見され、以降は長くシェアートップを走ってきたのです。
でもトップの座は1994年巨峰に譲りました。
因みに巨峰は
石原早生(キャンベルの枝替わり)×センテニアル(ロザキの枝替わり)
と両親は明らかなのです。
この木は父が30年ほど前にネオマスカットを切り倒した後
その切株にデラウエアーを接ぎ木したもので
我がぶどう園の主のような老木です。

本 昌康
ルビーロマンと二重
ぶどう園の栽培責任者白井さんです。
今年もルビーロマンの最高峰
【プレミアム】を作出するために
全精力を傾けています。
因みに一昨年プレミアム認定を受けたのが1房で彼が作出、
金沢市場で1房25万円を付け評判となりました。
昨年は6房が認定を受けそのうち4房は彼が作出と
ずば抜けて成績が良いのも
彼が24時間精魂込めて
ど真剣に栽培に取り組んでいるからです。
写真を撮りました。
「普段の白井さんと疲れた白井さん」
その違いはまぶたにあり
疲れると二重になるのだそうです・・・・。
《普段の白井さん》
《疲れた白井さん》
本 昌康
思い出の詰まったお向かいの建物が取り壊し中です。

いつまで経っても「収納アパレル」と呼んでいた建物ですが。
これが今日姿を消しました。

今から40数年前、大変なボーリングブームがありました。
学生だった私は友人とともに早朝ボーリングへ6時頃には出かけました。
この時間帯が安かったのです。
貧乏な学生たちは朝起きして出かけたのでした。
そのブームも陰りを見せ始めたころ
建築中止となったボーリング場。
その建材を買取してシャツの縫製工場を建てたのが川向の
収納縫製改め「収納アパレル」でした。
戦後日本からアメリカに1ドルシャツが輸出されたのです。
品質が高くしかも1枚1ドルのシャツは飛ぶように売れたのだそうです。
1ドル360円の時代。
シャツ1枚が360円で売れるのは製造者にとっても魅力的だったのです。
最盛期には国内工場で2000人ともいわれる社員を抱えた収納は
その後中国パワーに屈し撤退を余儀なくされたのです。
その跡を買われたのがMKツアーさん。
今や格安の夜行バスでも有名となり、大繁盛。
東京でMKマークのバスをよく見かけます。
今回は事務所を移転され、バス置き場の改善を進める中でついに
取り壊しとなったのでした。

35年ほど前、25歳の頃でしょうか、ぶどうの販売が直売だけでは売り切れなかった頃、
私が収納さんにお願いして、社員食堂に行き、女性社員に囲まれ冷やかされながらぶどうを売らせてもらったのです。売りきれますと2階の窓から私が手を振るのです。それを見て家内は追加のぶどうを持って走ってくるのでした。そんな私達の商いの原点でもあった思い出の建物が小雨の中姿を消していきました。
本 昌康
大阪駅は屋上へ!
東京にばかり向いていた目が
震災以来関西に向き始めています。
JR大阪三越伊勢丹
何とも長い会社名ですが
巨大なブランド3つが重なってできているのですから
このような表現しかないのでしょう。
ということで5月4日オープンの話題の店に
ようやく行ってきました。

駅全体を覆う大きなドーム

屋上「和らぎの庭」にある、何とぶどう畑
見てほしいのはぶどう棚の作り方
農家ではなく建築家がぶどう棚を張ると
こんな金具を使い・・・
お金の掛けたぶどう棚が仕上がるのだ・・・。


ということで店内写真はなく屋上写真でした。
是非お出かけの際には屋上までお出かけください。
本 昌康
社長!なんとかしてください。~カフェのスタッフからです~
カフェから見えるぶどう園
お客様が話しているのを聞いていると
「草が茫々で手入れがしてないみたいね・・・」
ということで
「恥ずかしいから草をなんとかしてください」

馬鹿なことを言うなよ、あれはライ麦で去年の暮れに種を蒔いたんだから
「えっ、わざわざ麦を蒔いたのですか?」
そうだよ、お金かけて蒔いたのだよ。(ぷんぷん)
ずっと昔は草を生やすだけの栽培方法でしたが
ここ10年ほどは麦を蒔き膝上ぐらいにまで育ててから
草刈り機で刈り倒すのです。
そのことで土中深くまで達した麦の根が
空気を送り込む仕事をしてくれるのです。
そしてなぎ倒された麦は地面を覆い雑草が伸びるのを抑え
やがて枯れた麦は有機質となって土を柔らかくしてくれます。
それはぶどうの根にとっても良いことなのです。
「すごい、ちゃんと考えてるんだ」
当たり前です、ちゃんと考えて、経費も掛かっているんですよ。
ちゃんとお客様に説明してください!
美味しいぶどうを作るためなんです。
ライ麦が綺麗に生え揃っているのに、草茫々とは・・・・。
やはりなんでも説明責任があるのですね・・・。
本 昌康
自慢の枝垂れ桜です
ぶどうの木本店で自慢したい2番目が
シノアの「しだれ桜」です。
今年も見事なしだれ(?)を見せてくれています。

実は冬にお隣にあったヒマラヤシーダーいともたやすく倒れたのですが
そのおかげもあってか、のびのびといい感じです。
自慢の1番は何かって?
勿論ぶどうですよ。
シノアの中はもう7~8枚の展葉で、蕾も見えています。

本 昌康


