ブログの範囲に収まらない内容でどうしようかと迷っています。
でもやはり話をしなければならない
アウシュヴィッツのお話です。
10年ほど前の2月
私は友人のTさんとアウシュヴィッツへ行きました。
それはその後私の人生感を変える程の強烈な体験でした。
今でも脳裏に焼き付いて離れないのが
刈りとられた髪の毛の山です。
「なぜに髪の毛を・・・?」
「収容所では人間の体を資源として利用しようと
死体から色々と集めたみたいですね。
その一つがこの髪の毛で、
終戦時ドイツ軍が慌てて逃げたために残されたものです」
「髪の毛を何に利用したのですか?」
「主にカーペットですね」
「カーペットになんかなりますかね?」
「はい、足元に置いてあるそれです」
写真は自由に撮れるのです。
そこで私は髪の毛の山を撮ろうとして、
ファインダーを覗き、
三つ編みされた金髪に焦点を当てたのです。
それは何気なく切ったシャッターでした。
でもその記録はフイルムではなく私の脳裏に記憶として残ったのです。
何時までも消えないのです。
私はその晩から1週間ほど
毎晩収容所の焼却炉の傍に立つ夢に悩まされるのでした。
それほどの強烈な印象を与えたこの場所の事を
せめて社員の皆さんにも伝えたい、
そう思った私は中谷さんに電話をして、
パンフレットを日本に送って欲しいとお願いをしたのでした。
嫌がる彼を口説き落とし送って頂いたのでした。
その時やりとりしたFAXは今も大事に持っています。

それから10年近くお互いに連絡を取ることもなかったのですが、
この7月2日彼からのメールを受け取ったのです。
「ようやく金沢へ行く用事ができたので、
是非本さんのレストランで食事を・・・」
勿論「ウエルカム!」です。
7月31日金沢駅はZOINEぶどうの木の前で待ち合わせ。
旅行用のキャリーバックを引いて
店の前に立った彼はすぐにわかりました。

当日は門林道子さんと息子さん。
細貝順子さんとそのお友達も東京からやってきたのです。
ということでアウシュヴィッツを訪ねた6名が
中谷さんを囲んでの一夜でした。
読みづらいかもしれませんが、
是非に読んで欲しいのが10年前の彼からの手紙。
そして私が社内で配布した案内書にその時添付した私からのメッセージです。
それ以来私は
知覧の特攻記念館を見て死にたくないのに死んでいった若者を思い涙し。
広島の原爆記念館では、
これはアメリカが起こした犯罪であると明確に感じ。
ベトナムでは奇形となった枯葉剤を被った子供の姿を目にし、
遺伝子をも狂せ三世にも影響を与える化学物質の怖さと、
誰も救えない戦争が終わっても続いている
戦争の痛みを背負わされた子供達・・・この理不尽さ。
南京では虐殺記念館へも足を運びました。
事の真実は分からないけれど、
この戦争で謝らなければならない人もいたのは確かです。
けれどもアウシュヴィッツを見た私には、
多くの善良な人がその時代が作りだした空気の中に身を置き、
風に巻き込まれながら行動をせざるを得なかった事を感じたのでした。
そして私の友人である、
トルファンのオスマンさん達ウイグルの民は
いまだに大国の力の下でもがき苦しんでいます。
人はいつでも狂気となる。
その怖さをアウシュヴィッツは教えてくれました。
中谷さんは年間3000人~5000人訪れる
日本人のガイドを今も続けておられます。
是非お訪ねすることをお勧めいたします。


本 昌康